故岩橋明子会長について
当法人岩橋明子会長(90歳)は、療養中のところ6月17日(月)に逝去し、葬儀は近親者で営まれました。後日法人主催の「追悼の会」を開催します。
1952(昭27)年に二代目理事長岩橋英行と結婚(義父の岩橋武夫はヘレン・ケラー女史を2回にわたり日本に招致)。中途失明した夫英行に寄り添いながら日本ライトハウスの事業発展に尽力するとともに世界各国の視覚障害者福祉の新しい流れを紹介し、わが国の視覚障害関係事業推進に寄与しました。
昨年11月の「ヘレン・ケラー女史を偲ぶ会」におけるヘレン・ケラー女史の裏話や岩橋武夫の好々爺ぶりをさわやかに解説された姿が記憶に新しい。
故岩橋明子会長経歴書
昭和4年5月 2 日 | 兵庫県豊岡市に生まれる |
〃 24年3月 | 神戸女学院専門学校英語科卒業 |
〃 24年4月 | 私立燈影女学院中学校・高等学校に奉職 |
〃 26年3月 | 同上 退職 |
〃 27年3月 | 社会福祉法人日本ライトハウス2代目理事長岩橋英行と結婚 以来、岩橋英行理事長との二人三脚で盲人福祉事業に献身 |
〃 30年6月 | ヘレン・ケラー女史が岩橋武夫弔問のための3回目の来日に際し親しく接客 |
〃 30年以降 | アジア盲人福社会議(東京)をはじめ海外諸国で開催される世界盲人福祉協議会 (WCWB: World Council for the Welfare of the Blind)総会や実行委員会などで通訳・翻訳者として活躍、各国指導者との交流を深める日本盲人福祉委員会を通じて関係者に配布され世界情勢を伝えた。 また、しばしば来訪される海外からの要人を岩橋家で接遇されたが堪能な語学力や博学な知識に加えて,ホスピタリティーにあふれたおもてなしは高く評価された。 |
〃 59年5月 | 岩橋英行没後、その後を引き継ぎ3代目理事長に就任 |
平成11年4月 | 会長に就任 |
昭和59年5月 | アジア眼科医療協力会常任理事に就任 |
〃 60年2月 | 世界盲人連盟(WBU:World Blind Union、前WCWB)リハビリテーション・訓練・雇用委員会委員に就任(平成9年4月〜WBU日本代表委員、平成12年11月WBU第5回総会〜名誉終身会員) |
〃 61年6月 | 日本オプタコン委員会委員に就任 |
〃 61年6月 | 大阪市養護教育審議会委員に就任 |
〃 62年4月 | (福)日本盲人福祉委員会評議員に就任(平成9年4月〜理事) |
平成元年 | 世界失明予防協会(IAPB)日本代表委員 |
平成 4年7月 | 外務大臣表彰を受ける |
〃 11年9月 | 第17回鳥居賞受賞(故鳥居篤治郎先生遺徳顕彰会主催) |
〃 22年10月 | 第18回ヘレンケラー・サリバン賞受賞(東京ヘレンケラー協会主催) |
〃 24年12月3日 | 内閣総理大臣表彰受賞(内閣府「アジア太平洋障害者の十年(2003〜2012年)」最終年記念 障害者関係功労者) |
1.岩橋明子著「世界に見る日本の盲人対策の水準」 1981.1 日本盲人福祉委員会(点字毎日、1988.4.3〜9.11掲載記事収録) |
2.岩橋明子 日本ライトハウス21世紀研究会編「わが国の障害者福祉とヘレン・ケラー−自立と社会参加目指した歩みと展望」 第T部第5章第3節「第1回アジア盲人福祉会議の開催」,p84〜91, 第T部第6章「視覚障害者の国際交流の発展」 p92〜107,教育出版,2002.9 |
3.日本ライトハウス「往復書簡 日本の障害者福祉の礎となったヘレン・ケラー女史と岩橋武夫」 2012.10 日本ライトハウス 本書は、当法人が2012年に創業90周年を迎えるところからヘレン・ケラー女史と岩橋武夫や岩橋英行の間 で交わされた往復書簡をまとめて後世に残すこととしたが、その資料の翻訳をすべて担われた。 本誌は、90周年記念事業における記念誌として発刊された。 |