日本ライトハウス情報文化センター        「ワンブックワンライフ」2014年12月号  <表紙イラスト:(武部はつ子画)>クリスマス。サンタクロースを乗せたトナカイが猛スピードで駆けている。 サンタが「スピードオーバーじゃ〜!!」と言うと、トナカイは「ん、もう〜っ!!今夜中の宅配件数を考えてっ・・・!!」   (目次) ◇掲示板 ◇センターのページ ・【追悼】 情報バリアフリーの“夢”に命を燃やした岩井和彦さん ・指先で言葉を紡ぎ、思いを伝える  盲ろう者に“語り合う喜び”を広める梅木久代さん・好彦さんご夫妻 ◇報告のページ  ≪掲示板≫ ○ボランティア交流会を3月19日(木)に開催  毎年恒例の当館ボランティア友の会交流会を来年3月19日(木)、玉水記念館で開催します。今回のゲストは、本誌3頁で紹介する盲ろうの梅木久代さんと好彦さん夫妻です。久代さんの明るい人柄からは想像できない厳しい人生と、最近のご主人との楽しい生活、盲ろう者の交流会のお話をしていただきます。ぜひ今からご予定ください。また、当日はバザーを行います。売り上げは友の会の貴重な活動資金となります。ご提供いただけるもの(生ものを除く)がありましたら、3階総務係までお寄せください。 ○元館長の岩井和彦さんが逝去  堺市立健康福祉プラザ視覚・聴覚障害者センター館長で、当館元館長の岩井和彦さんが10月29日、堺市の病院で逝去されました。65歳でした。心からご冥福をお祈りいたします。追悼文を本誌2頁に掲載しますので、お読みください。 「岩井和彦さんの夢を受け継ぐ会」を12月16日(火)13時30分から15時30分、堺市立健康福祉プラザで行います。参加申し込みは12月10日までに、電話072-275-5024の同プラザまで。 ○点譜連の集いに、時田直也さんが出演  点譜連(点字楽譜利用連絡会)主催の標記行事が12月7日(日)13時30分〜16時30分、玉水記念館3階中ホールで開催。全盲のバリトン歌手、時田直也さんのお話と演奏、活動30年を超える楽譜点訳ボランティアのお話が行われます。 参加無料。申込不要。会場へ直接ご来場下さい。 ○オンキヨー点字作文・特別賞を職員が受賞  点字毎日のオンキヨー第12回世界点字作文コンクール・サポートの部特別賞を当館の加治川千賀子職員の作品「視覚障害を理解することから共感しあえるサポーターをめざして」が受賞しました。盲ろうの女性の最優秀作品をはじめ珠玉の受賞作がインターネットで公開されていますので、検索 「オンキヨー 点字 加治川」でぜひお読みください。 ○年末年始のボランティア活動について  12月26日(金)=仕事納め。ボランティア活動の最終日は各係でご確認ください。  1月6日(火)=ボランティア活動と利用者サービス再開。業務は5日(月)から再開します。 ≪センターのページ≫ 【追悼】 情報バリアフリーの“夢”に命を燃やした岩井和彦さん 当館館長をはじめ、さまざまな団体や事業の先頭に立ち、情報バリアフリーの実現に全身全霊を捧げた岩井和彦さんが10月29日、65歳でこの世を旅立ちました。55歳で大腸がんが見つかってから9年8ヶ月間、苦しい闘病を続け、2年余り前には余命宣告も受けながら、最後まで夢を追い、亡くなる直前まで生きる気力を失うことはありませんでした。東京ヘレン・ケラー協会発行『点字ジャーナル』2014年12月号に寄稿した追悼文を同誌の許可を得て書き改め、岩井さんに捧げたいと思います。(館長 竹下 亘)  岩井さんに最後に会ったのは逝去の2週間前。岩井さんは施設長を務める堺市立健康福祉プラザ視覚・聴覚障害者センターにほど近い病院に入院し、緩和ケアを受けながら、がん医療情報の点字、音声による提供事業や、「電子書籍」をテーマとする本の編集、「ふれあい文庫」の30周年記念行事などを指揮していた。そして、海枝子夫人と4人の子、8人の孫への溢れる愛と、一緒に働いた人達への感謝を語っていたのが印象的だった。  岩井さんは1949年7月30日、奈良県に生まれた。両親の愛情を受けて元気に育ったが、小学2年の時、突然の高熱と全身の湿疹に襲われ、失明(後年、薬害によるスティーブンス・ジョンソン症候群と判明)。翌年、大阪府立盲学校(現視覚支援学校)小学部3年に編入学した。同校ではたちまち点字に魅了され、盲人野球に熱中。中学部3年の時には全国盲学校弁論大会で優勝し、高等部では「学園紛争」に参加するなど活発な青春を送った。  専攻科卒業後、1971年、同志社大学文学部社会学科に入学。竹下義樹、田尻彰、加藤俊和、愼英弘氏らと関西SLを結成し、初代会長として点字・録音教材の共同利用を推進した。  大学卒業後、母校の社会科講師を経て、1978年、日本ライトハウス点字出版所(現点字情報技術センター)に就職。1983年、奈良県盲人福祉センター(現視覚障害者福祉センター)に転職し、12年間、点訳・音訳ボランティアと共に、数々の新しい情報提供を実現した。  1995年、日本ライトハウスからの懇請に応えて点字情報技術センターに復職し、1999年から盲人情報文化センター(現情報文化センター)館長に就任。その後、法人の常務理事も務めるかたわら、2003年から2010年まで全視情協の理事長を務めた。情報文化センター館長就任後は、活躍が全国に広がり、ブラインドサッカーの国内普及、放送・映画への音声解説の拡充、全視情協の発展とサピエの誕生などに力をふるった。  しかし、2005年に始まったがんとの闘病の中で、仕事を絞って点字図書館業務に集中したいという願いから全視情協、続いて日本ライトハウスから身を引き、2012年、堺市立健康福祉プラザ視覚・聴覚障害者センター長に就任。絶えず治療を続けながら、堺での新しい事業や全国的な読み書き(代読・代筆)情報支援の推進などに全力投球した。  岩井さんの歩みと思いは、自伝 「Let it be 視覚障害あるがままに〜夢は、情報バリアフリー」(2009年)に詳しいので、ぜひお読みいただきたい。  岩井さんには、際だった魅力と才能があった。  まず特筆すべきは、ダンディな声に包まれた熱い情熱と温かい気配りで多くの人を魅了したことだ。奈良県のセンターの退職時には、多くのボランティアが集まって別れを惜しみ、泣き声もあがったという。また訃報の直後、岩井さんと最近知り合ったという青年からはこんな追悼のメールが届いた。「短いお付き合いでしたが、本当に中身の濃い2年間でした。僕の思いや考えをすごく買ってくれ、理解してくれて、いろんなイベントのコラボの話も即決で『やりましょう』と。あの動きの速さが僕は大好きでした」と。このように岩井さんに惹きつけられ、協力し、応援することになった人は数え切れないことだろう。  また、岩井さんは天性のリーダーだった。関西SLを作った際、多士済々のメンバーから初代会長に選ばれたのも、そのリーダーシップやセンス、行動力を買われたためだった。しかも、その後、色々なグループや事業のリーダーになっても、決して傲慢にならず、常にプレイングマネージャーとして第一線に立ち、指示を出しながらメンバーと共に現場の作業を担うことを惜しまなかった。  そして、岩井さんは根っからのスポーツマンだった。中学では盲人野球の近畿地区大会で優勝し、最優秀選手に選ばれた。奈良県の職員時代には、国体の盲人卓球で優勝。50歳で国内初のブラインドサッカー大会を開催した時は、「10歳若ければ選手として出たかった」と悔しがった。がん発症から10年近く、手術と入院治療を繰り返しながら最後まで仕事を続けた生き様は、“アスリート”の称号に値する闘いだったとは言えないだろうか。  この岩井さんが生涯を通して追い求めた“夢”が情報バリアフリーだった。点字を愛し、館長職に就いても触読校正が大好きだった。奈良県では、点字図書付き絵本や音声地図の製作、スポーツ大会の「状況放送」、てんやく広場への参加と点字版「大辞林」の製作などを次々と展開。日本ライトハウスではテレビや映画の音声解説の普及に邁進した。そして、がん発症後は「情報は命」と訴えるようになり、最後は「読み書き(代読・代筆)」情報支援と、がん医療情報の提供事業に心血を注いだ。  その根底には、中学の時に味わった「情報飢餓体験」があり、思春期に実社会との接触で痛感した差別への怒りがあった。岩井さんが昨年、読み書きに関わる差別を受けた時に見せた怒りは驚くほど激しいものがあった。こうして生まれたのが、視覚障害者も教科書を手にし、自由に本を読み、テレビや映画を楽しめる「情報バリアフリー社会」を作りたいという生涯の夢だった。  岩井さんの情報バリアフリーの夢は私たちが引き継ぎ、その夢が実現する日を目指して残りの人生を歩んでいきたいと思う。 (写真) 長髪が似合っていた館長時代の岩井さん 指先で言葉を紡ぎ、思いを伝える 盲ろう者に“語り合う喜び”を広める梅木久代さん・好彦さんご夫妻  久代さんは2歳の時、高熱により聴力を失い、言葉も話せなくなりました。「手話を使うと周りに障害者だとわかってしまう、口話(口の形を読み取る)なら健常者と変わりなく暮らせる」、そんな考えが主流の時代でした。35歳で視力も失い、人との会話が難しくなっていきます。長く孤独と向き合い生きてきた久代さんは触手話(相手の両手に軽く触れ手話を読み取る)に出会い、本来の明るさを取り戻します。理解者となった好彦さんと結婚し、二人で「京都盲ろう者ほほえみの会」の設立を目指します。京都で開かれた講演の一部をご紹介します。(総務係 加治川千賀子) 孤独の闇に取り残されて  椅子に登り、ガレージの高い窓枠に手をかけた母に小5の次男は抱きついて叫びました。「やめて〜、お母ちゃん!」 「死なせて!」 母の様子がおかしいと後ろを付いてきたのです。 「お母ちゃんが死んだら、僕たちはどうなるの?」次男はそう言いたかったのでしょう。  35歳を迎えた頃、網膜色素変性症が進み、視力も失いました。前夫との離婚。いつも味方だった母の死。長男はいじめを受け、母の障害を受け入れられなかったのでしょう。久代さんに「点字を習うんなら、目はいらんのやな」と言い放ちました。久代さんは孤独の中、生きる気力をなくし、2度の自殺未遂を図ります。しかし、次男が叫ぶ必死の口元に自分の身勝手な行動を悔い、子どものために生きる決意をします。  やがて、大阪盲ろう者友の会の存在を知ります。そこには親から禁止されていた手話を使い、元気いっぱいに話す聴覚障害者の姿がありました。久代さんは触手話を“まるで魔法の言語”だと喜び、何十年と忘れていた「おしゃべり」を取り戻し、ついに10年にわたる孤独の闇から脱出、人の輪を広げていくのです。 京都府の山村で自給自足の生活へ  好彦さんは大阪盲ろう者の会で点字や指点字を使って通訳介助者の活動をしていました。久代さんと友達になりたいと思いましたが、手話はまだ未熟、点字の手紙を送りますが、全く相手にされません。そのうち、久代さんは京都での長男夫婦との同居生活をやめ、自律訓練を受けて岸和田市へ戻り、夢だった一人暮らしを始めました。好彦さんはそこへ足を運んでは、自分が農業で自給自足の生活をしている京都府京丹後市の味土野という山村で共に暮らそう、と誘います。久代さんには「雪深く、バリアだらけの土地でどうやって暮らしていけるのか?」という不安もありましたが、好彦さんの愛情や集落の人々の優しさが久代さんの不安を和らげ、二人はやがて結婚、味土野で生活を始めます。 「京都盲ろう者ほほえみの会」設立へ  京都には盲ろう者が集う会はありません。「同じ境遇の人たちに自分が元気になった触手話というコミュニケーション法を教えてあげたい、仲間と語り合う喜びを一人でも多く伝えてあげたい。」好彦さんも同じ思いでした。久代さんが代表、自宅を事務局として好彦さんと準備を開始、2003年に京都盲ろう者ほほえみの会を立ち上げました。現在は、京都府北部にも「たんぽぽの会」を立ち上げ、より地域に密着した形で交流会を開いています。 生きていることはすばらしい  講演では「見えない、聞こえないことは不幸じゃない。コミュニケーション手段があれば、活動して、友達もできる。通訳介助者と外出したり情報ももらえる。生きる大切さを知ったからこそ命を楽しんで生きていきたい。皆さんも夢を最初からあきらめないで、頑張り続け、成功した時のうれしさを味わってほしい」と熱いメッセージを送ってくださいました。 ≪報告のページ≫ ○対面ボランティアの集いを開催  当館のボランティアを対象に毎年行っている「対面リーディング・ボランティアの集い」が11月14日午後、当館で行われ、16人が参加しました。ゲストは当館や地域の公共図書館で対面朗読を利用している竹田幸代職員で、当館の対面ボランティアの専門書籍を読む技術を高く評価する一方、ちょっとした書類を少しの時間でも利用したいという希望などが話されました。また、参加者同士の話し合いでは、利用者が居眠りした場合の対応や、竹田職員が希望した“ちょっとした対面”についての意見などが活発に交わされました。参加者は少なめでしたが、中身の濃い集りとなりました。 ○肥後橋ちょっと“触れ歩き”E  先日初めてグランフロント梅田に足を踏み入れたところ、JR大阪駅から南館への連絡通路(地上2階)の入口にグランフロント大阪全体の模型がありました。惜しむらくは触知用ではないため、触るには腰の高さの台座に身を乗り出す必要があるところ。せっかく模型を設置するなら、最初から触って観られる前提で作ってほしいですね。 あゆみ 【11月】 8日 オープンデー(館内見学日)、ライトハウス祭り(鶴見事業所) 11日 見学:リハセン養成部受講生 14日 対面リーディングVの集い、ふれあい文庫30周年式典(竹下、奥野) 15日 見学:タイ児童良書提供事業一行 22日 振替休館(8、5、4、3階は開室) 25日 V友の会施設見学会(リハセン、出版) 29日 バリアフリー映画会「天地明察」(玉水) 予定 【12月】 13日 オープンデー(館内見学日、要予約) 16日 岩井和彦さんの夢を受け継ぐ会(堺市) 18日 近畿視情協ボランティア研修会(玉水) 24日 利用者サービス最終日 26日 仕事納め 【1月】 5日 仕事始め(15時から法人行事で休館) 6日 ボランティア活動・サービス開始 8日 ボランティア友の会世話人会   編集後記 岩井さんに初めて会ったのは28年前。新米の頃、奈良のセンターに訪ねて昼食をご馳走になり、色々な助言をもらいました。その後、同じ法人で17年、岩井館長の部下として12年仕え、私の社会人としての半生は岩井さんなしには語れないものとなりました。そんな岩井さんの原点とも言える、15歳の時の初々しい優勝弁論がYou Tubeで 岩井和彦 と入れると聴けます。ぜひお聴きください。(竹) =ONE(ワン) BOOK(ブツク) ONE(ワン) LIFE(ライフ) 2014年12月号= 発 行 社会福祉法人日本ライトハウス      情報文化センター(館長 竹下 亘) 住 所 大阪市西区江戸堀1-13-2(〒550-0002)     TEL 06-6441-0015 FAX 06-6441-0095     E-mail info@iccb.jp 表紙絵 武部はつ子 発行日 2014年12月1日 定 価 1部100円 年間購読料1,000円